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100年後300万人

300万

たまにはニュースから。


とはいっても新潟日報がwebで伝えたのが3月22日です、ずっと気になっていたニュースとはいえ今更・・・この際自分の反応の悪さは少し置いておこうかな・・・。新潟日報のwebが伝えたニュースは新潟経済同友会という団体が新潟県・新潟県知事に100年後の県人口を300万人に増やしましょう、そして増やす方法はこうしましょう、100年後はこういう姿にしましょう、という提言書を提出したというものです。下にそのwebページ。

[新潟日報社webサイトより引用]

<以下引用>
県人口300万人目指し提言
新潟経済同友会
 新潟経済同友会は9日、100年後の県人口が300万人に到達することを目標とした五つの戦略を泉田裕彦知事に提言した。本州日本海側の中央に位置する本県の特性を生かして企業の集積や住環境の整備を進め、人口減社会からの構造転換を促すのが狙いだ。
 県人口は1997年の249万人をピークに14年連続で減少し、2011年は236万人になった。人口が減り続ければ経済規模の縮小につながると懸念した同友会は、30人余りのメンバーで2009年12月に「百年後委員会」を発足。人口増に焦点を合わせた初めての長期ビジョンを提言書としてまとめた。


そして下にその新潟経済同友会の提言書であるpdfページ。引用は提言書内の100年後の理想というか思い描く新潟県の姿。言わばゴール地点、着地点。

[新潟経済同友会の提言書](※pdfです)

<以下、一部引用>
『2100年(平成 112 年)、人口減少社会の到来を踏まえ、いち早く対策を取った新潟県は、我が国経済の中心が太平洋側から日本海側に重心が移るのに合わせ、その地理的優位性をいかんなく発揮し、今や人口300万人を有するに至った。また、どこよりも住み易いとの評判から全国から移り住む人の増加が続いている。子どもらの元気な声も随所で聞こえる。また、経済も100年前に開始した様々な分野の研究拠点集積戦略が功を奏し、関連する世界最先端の企業群も進出している。また、いち早くグローバル競争に打ち勝つ「優れた教育システム」で優秀な学生が多く輩出されてきたことも大きな強みとなっている。そして、今や新潟の位置づけは、太平洋側のリダンダンシー機能(補完機能)あるいは首都機能までも有する一大拠点となっている。』


散々webリンクやら引用やらをしておきながら、いきなり冒頭で言うのもアレですが、100年後に300万人が達成できるとは自分は微塵たりとも思っていません。ニュースを見る前から微塵たりとも思っていませんでしたが、見た後も変わりませんでした。ただ、その微塵を運ぶだけの微風は自分の中に通った気がします。
あくまでこれはとある団体の提言書で、新潟県の方向性では無いんですけどね。Jリーグにも100年構想というものがあります、"スポーツで、もっと、幸せな国へ。"というスローガンのもと行われている長期構想です。Jリーグも20年目を迎えて少しずつ日本にもJリーグという文化が根付いてきたかなあ、と感じています。そういう事も感じているので、そうなればいいとみんな思えるような少し壮大な目標を掲げて、継続して活動していくのも悪くないのかなあ、と思いました。
100年後というと自分が130歳、こどもが約100歳、孫が約70歳、曾孫が約40歳、玄孫が約10歳・・・もちろん自分は生きていませんが曾孫が現役で稼いでる頃ですかね。こども、孫、曾孫 辺りに壮大な目標に向かう事とその継続の重要性の一端を見せてくれるのならば幸せかなあ、と思った分が多分微風の正体です。
ちなみに新潟経済同友会が何たるかも全く知りません、このニュースで初めて知りましたし他の活動も分かりません。もっと言うと自分、こども、孫、曾孫が100年間新潟県にいるかも分かりませんしね。そうなると流動性が大きくなっていく中でどっしりと100年構想っていうのもどうなんかなあとか、だからといって目標も無く散り散りと100年経過するの・・・とか色々考えさせられました。大した答えが無いのは自分の勉強に努力が足りないのが要因だと思います。このニュースの続編があるのなら注視したいと思います、まあとりあえずいいか、おやすみなさい。


ニュース等を題材にするとブログが書きやすいと長々思ってましたが、ああじゃないこうじゃないと考えていると結局自分の中に答えが乱立してしまって手詰まりになってしまいます。もっと頭が良ければいいって話でしょうけど・・・なんとなく自己完結できる その日思った事を書くのがよさそうです・・・。ものすごく長い時間PCの前にいたなあ・・・。