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"my life is my own choices"

大人の長財布

大人といえば長財布。


なんの根拠もなくそう思って生きてきて今に至ります。今は長財布を使っています。意外と自分はそんな"大人のイメージ"というものを重要視しているかなあ、と感じます。もっと具体的に分析すると、紆余曲折しながらも最後は"大人のイメージ"に到達すればいいと思っています。今までの財布を振り返っても・・・高校時代はどんなの使っていたかなあ、と思い出せません・・・中学時代は家にあったナイロン生地のファスナー小銭入れでした、下手したらフェリックスの顔の形した小銭入れ・・・ださし。途中からナイロン生地のお札も入れれるマジックテープになったと思います、なんかオレンジ色で変なコピーがプリントされた・・・これまた ださし君。お洒落さんは古着ブームもあってレザーで紐でくるくるっと巻いて止める的なのでした。高校時代がほんとに思い出せません・・・財布・・・思い出せません・・・。大学時代は少し長く使おうと一念発起して、使っていく内に風合いが出そうなporterの財布を買いました。オシャレに興味の無かった自分の必殺 "とりあえずのポーター"作戦。その財布も社会人になってから落として紛失、その後はporterを再度買ったり色々ふらふらしてました。
そして今は長財布。ブランドは相変わらず疎いので善し悪しは分かりませんが、センターラインのデザインに惹かれdunhillの長財布です。財布における自分の"大人のイメージ"の帰結は、dunhillの長財布という事になりました。
書いていて思ったのはオシャレに疎い自分は "大人のイメージ"と称して色々考えて自己肯定まで辿り着かないと不安なんだろうな、という事。大学の時も "とりあえず"で財布を選びました、きっとそれもシミュレーションで自己肯定できた結果の財布。その反面、高校時代は当時"とりあえず"の代名詞だった ステュー的なシー的なグッズは買う事に拒絶感がありました、なんだかみんな着てるStuのssyのTシャツは嫌だったなあ・・・あとみんな履いていたボーダーブランドのスニーカー各種も。なんだかなあ・・・とりあえず を使ってみたり、遠ざけてみたり・・・自分でも理路整然としていないなあ、と思う謎のこだわり。自分自身がブレている証拠ですかね・・・結論は出ずにうろつくだけうろついて おやすみなさいー。