new-life

"my life is my own choices"

家の解体

壊体、懐体。


数日前から業者が入り、しばらくして家が文字通り空っぽになりました。さらにもう少ししたら土地が空っぽになります。家のサッシが全部取り外されて、家に置いてあったモノが全部無くなった"空っぽ"の状態を見に行きました。ほんとに家は誰かに住まれてこそ家なんだなあ、と思いました。モノが全て無くなった家は古さが剥き出しになって、今まで苦労が滲み出ているような でもどこか一息ついているような・・・なんとも異様な雰囲気でした。
うちの親父は業者が入る数日前から取り壊す家に近寄らないようにしている、と言っていました。姉も妹も実家を離れていますが、こっちにいたとしても見たくはない、と言っていました。自分はというと、正直迷っていました。家が空っぽの状態を見に行く事も迷っていましたし、土地が空っぽになる様子を見に行くのも迷っています。自分の性格や経験から言って最後にもう1回見なければ後悔すると思ったので、家の空っぽは見に行きました。良かったのかどうかは今後も答えは出ないと思います。実際目の当たりにしてみたら、色々思い出して懐かしくなり崩れ落ちそうなほど切なくなりました。じっとりと胸と目頭が熱くなるようなあの感じはいつ振りだろうなあ。
空っぽになった家の 同じく空っぽの部屋を見て、目を閉じて光景を思い出せるかやったりしました。ほんの数日前まで普通に家財が置いてあったので思い出せない訳が無いのですが、思い出せて少しほっとした自分がいました。少しずつ思い出せなくなる部分も増えていくんだと思いますが大体で思い出せればいいんだ、となんとなく思えました。あんまり言いたくは無かった言葉ですが、さよならもきちんと言ってきました。

自分にとっては約30年分のさよなら、を。家族にとっては約60年分のさよなら、を。自分たちが家を作るのか、家が自分たちを作るのかは分かりませんが、これから新しい"家"を作っていくつもりです。自分たちもそうだから、家もそうだろうという短絡的な考え方ですが、きっと今のさよならで延々立ち止まるより次にすんなりさっぱり移った方が自分たちらしいかなあ、とも思います。今のさよならも、今の感謝も当然忘れる事はないと思います。いたって前向きなはずだったのに、やはりどかんと感情が動きますね・・・。
家の前の継ぎ接ぎだらけの舗装や、昔建物があったんだろうという敷地内の基礎の残骸、小さい頃によじ登って遊んだ柱や、馬鹿でかい音の時報が鳴る時計、じいちゃんと昼寝した縁側や、60年の時間ならではの古びたにおい。時間が経って さよならの切なさにもみんな慣れたらまた思い出話でもしたいなあ。さようなら、30歳までの我が家。