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"my life is my own choices"

ポンペイ

古代の快楽都市。


漫画大賞2010を受賞した"テルマエ・ロマエ"という漫画を見る機会がありました。非常に面白かったです。"西暦130年代の古代ローマ。浴場の設計技師のルシウス" が "日本の銭湯にタイムスリップしてしまう。これ以降ルシウスは現代日本の風呂へのみタイムスリップできるようになり、そこで得たアイディアをローマでの浴場設計に活かしていく" (テルマエ・ロマエ-wikipediaより引用)というようなお話です。機会があればどうぞ。2chの紹介的なブログへのリンクですが、こちらで第1話が見れます[→こちら]。

テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)

テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)


エジソンは必要は発明の母と言いましたが、必要に気付けるかどうかが発明の最大要点だったんだろうなあ、とこの作品を見ていて思いました。とはいえ、とはいえですよ、最近は"必要"とは別のお母さんが主流な気がします。作品内でもあったものでいうと、シャンプーハットに関してはまだ"必要"な部類だと思いますが、トイレに近付くと便座カバーが自動で開くシステム・・・これ必要か?とさすがに思います。このまま発明が進めば、思春期に反発したくなるような "おせっかいお母さん" ばっかりになってしまうなあー、とか・・・エジソンは発明品がお母さんとは言っていませんね。"必要"というより、必要な事は当然の事ながら目的自体以外の事象は全部やらせていただきます的な・・・最短距離で!的なものが発明の重きになったのかなあ、とも読みながら思いました。
ただ、文明が進んでインターネットや流通システムが発達していって、何でもかんでも効率的になっていく事に対してそんなに拒否感もなかったりします。過去のものは過去のものとして、ただ、現在やこの先は常にそれではない的な・・・ものっそいリアリストな感じです。例えば、昔の待ち合わせのもどかしさや、家電話にかけるドキドキ感など 物事がスムーズにいかない事が実は良かった、それらが今は携帯電話で省略されてしまって寂しい 的なのは自分には無いんです。そこら辺は次第に変化していくもんだろう!と考えてしまいます。なんだろうなあ・・・星新一のショートショートで、世の中が便利になりすぎて人間の存在価値が脳みそだけになる的な作品がありましたが、そうなったとしても極論として仕方ないんかなあと思える方の人間です。ちなみに星新一のは発明品を扱った作品ではなかったです、あしからず。
・・・。何の話だったかな・・・テルマエ・ロマエでしたね。世の中便利になったんだなあと痛感したり、意外と日常品でも今の技術ってのはすごいんだなあと思ったり、漫画とかのタイムスリップ系はやっぱり面白いなあと再認したりしました。じっくりしっかり読む訳でもなく、爆笑するもんでもなく、さらっと読めてほんのり楽しかったなあという漫画でした・・・自分はです自分は。読み終えた後に、今必要や便利を飛び越えて快楽方向へ向かってるんじゃないだろか・・・とか考えたので書き始めました。何か買うにしても外出よりも先にマウスをカチカチっとやろうと考えるもんなあ・・・5年位前までは洋服をネットで買う事に否定的な意見も結構あったと思いますがそれも変わりつつある気がします・・・amazon系のjavariをはじめとして"お試し"もネットで出来るようにもなってるし・・・世の中動くなあ。歳を取ると年月経過が速くなるとよく聞きますが、それどころか世の中の流れも加速度的にきているぞ、と・・・取り残されるぞ、と・・・。未来なんて見に行かなくてもすぐそこなんじゃないだろか!逆に今が遠い存在にー!・・・これで締めようと思った 締めれると思った自分が情けないですがこの辺でー えらいつらつらと中身も無くたっぷり書いたもんだ・・・何かを提言する訳でもないから中身がからっぽになるんだと こちらも痛感しました。おやすみなさいー