new-life

"my life is my own choices"

終わっていくものに慣れるか

卒業シーズン。


中学辺りから、その上の段階に行くごとに・・・。卒業式の日には決まって ああもう一生会えない人もいるんだなあ と思っていました。でも一生会えないからといって、自分は何か行動する訳が無い人間ですが しみじみと沁みながら卒業式を過ごしていました。例えば誰かが超有名人になって、そいつが発端で同窓会やれば、またほぼみんなに会ええたり・・・とか思っていたなあ。"卒業式"のように一生会えなくなる別れを一気にごっそりと経験する事はもう恐らく無いんだろうなあ。
とはいえ。最近は定年を迎えた人を歓送してきました。人だけじゃなく今着けているコンタクトももうしばらくで終わり。自分の生まれ育った家も建て替われば終わり。同窓会とかでも、こいつとは今後一生会えなくなるんじゃなかろうかと思う時もあります。一気はなくとも着実に何かが終わっていく感じにネガティブになりがちです。変わる事でさえネガティブになりそうな。
それとは少し矛盾して、最近流行りのアプリゲームとかやっていると時間の経過の呆気なさも感じてしまいます。少し前は"あと○時間"とか表示されていたのに、次見てみたらもう結実して終わってるのかあ、とか。昔だったらひと時も逃すまいと焦って時間を過ごしてきた気もするけど、"呆気ない"で時間の経過を許容している気がします。
よく言われる、年齢を重ねるとともに時間経過に新鮮味がなくなって1年が短く感じる 的に、自分自身時間の経過具合に慣れてきているのもあるのかなあ。この慣れに呼応して終わっていく事にも慣れていく気がします。どんなにどん底に悲しくても悲しみに慣れていつしか笑ったりとか・・・思い当たる節があるなあ。終わりに慣れるというか、終わりの悲しみに耐えうるというか・・・。書いてる内にしみじみしてきたなあ。