new-life

"my life is my own choices"

抜き足 攣り足 しびれ足 そしてじいちゃん

じいちゃんの1回忌でした。


しびれ足は文字通り。親戚がぞろぞろと朝から集まり、家族も朝から慌ただしく・・・まあ後は推して量るべし・・・何を?という話ですが、まあまあ細かい事はいいかなあ、という所です。とても大好きだったじいちゃんが亡くなっておおよそ1年が経ちました、ひいじいちゃんの27周忌でもありました。ひいじいちゃんの想い出は1歳だった自分には悲しいかなありません、まさに物心がつく前に亡くなりました。話に聞く限りでは水戸黄門が大好きで、すごく温和なひいじいちゃん・・・全然顔も覚えてないし、写真でしか見た事がない・・・なのに あーこのおじいちゃんに少しでも触れてもらえた自分はとても幸せだったなあ と思えるんです、これぞ何のリアリティもない話ですが・・・なぜかほんのり温かい気持ちになるんです、七不思議。じいちゃんに関してはいなくなってから1年、会えなくなって1年、触れてもらえなくなって1年、様々な1年を過ごしました。慣れるというと少し冷たい感じがしますが、少しずつ慣れています。まあなんというかじいちゃんの写真を見るたびにあの笑顔には敵わないというか・・・じいちゃん目線で考えれば法事もスーツでなくてもいいんじゃないかねと思える程の笑顔で・・・。もう何を言いたいかばれていたら恥ずかしい話ですが、この人の孫で幸せだったなあ、と・・・改めて思うわけです。
まあ少しばかりお経を読んでもらう時に大人ぶって正座で通してみたりしてタイトルになったという・・・まあまあ結局説明して。あとも色々しましたが色々と話を聞いて結構宗派によってやり方が違うんだなあと思いました、宗派というかお寺単位で違うんですかね・・・よく分かりませんが。しっかりとした識見がない中で書くのはよろしくないのでこの程度に・・・。とにかく先述したように ひいじいちゃんやじいちゃんを思い出して、親戚がたくさん集まって、家族というかそういったものをしっかりと感じれたのが嬉しかったです。きっと法事の本来の意味からは ずれてると思いますが、そういう気持にもなったという事だけ残しておきたいと思います。